不可能を可能にしたプロデューサー達
講演形式
レギュラーセッション
講演時間
08月23日(木) 16:30 〜 17:30
資料公開
予定なし
受講スキル

プロヂューサとは何をする人なのか?疑問を持たれている方、将来プロデューサ志望の方、現在プロデューサで困っている事がある方

得られる知見

プロデューサーとは何をする人なのか?という定義から、「温故知新」昔の事をたずね求めて、そこから新しい知識・見解を導きます。

岡田芳郎:

プロデューサーに必要なマインド・知見を得る事ができます。

西尾安裕:

不可能を可能にしたプレゼンテーションの方法の共有と、今後のご自身のプレゼンテーションの仕方への指針を得る事ができます。

セッションの内容

変遷する時代の中で困難なイベントを実現してきたプロデューサーが何を考えて成功に導いてきたか、講演者が共に仕事をしてきた著名プロデューサーとの逸話も紹介しつつ、日本のエンターテインメントを成長させてきたプロデューサー論について語ります。

岡田芳郎:

プロデューサーとして、70年代、80年代で様々なプロジェクトを成功に導いた岡田氏が、

ともにプロジェクトを推進してきた日本を代表するプロデューサーである故小谷正一氏との仕事で生まれた、

1)プロディーサーに大事なこと

2)ヒットプロジェクト10の要因

について語ります。

西尾安裕:

プロデューサーとして「MacWorld Expo/Tokyo」の招致や

非営利活動に多くの企業を巻き込みながら実現した「ラブリバー・キャンペーン」等を紹介しつつ、

TDLを誘致した堀貞一郎との出会いから生まれた逸話を通じて”プロデューサー”について語ります。

モデレート:

守谷晶子

講演者プロフィール

守谷 晶子

株式会社バンダイナムコスタジオ

EP3-1部 企画8課

ソーシャルゲームプロデューサー

<講演者プロフィール>

株式会社バンダイナムコスタジオ
ソーシャルゲームプロデューサー

<受講者へのメッセージ>

プロジェクト開発を下支えする技術系職業から、いきなりタイトルプロデューサーになった時、
「プロデューサーとは何をする人なのか?」悩みました。
そんな時、岡田氏、西尾氏の講演を聴き自分の方向性を見出す事ができました。
私は、「人たらし」になれたらいいなぁと思っているのですが、どうでしょうか?

講演打合せの際、
「プロデューサーとはプロデュースできて初めてプロデューサーなんだよ」
と言われた時には、「プロデューサーとは何をする人なのか?」自分に再確認しました。

平均均年齢80歳の私達に伝えてくれる言葉には、重みと真実があります。
是非多くの方に聞いて頂きたいと思います、
宜しくお願い致します。
岡田芳郎

(詳細をご参照ください)

<講演者プロフィール>

早稲田大学政治経済学部卒業。
1956年㈱電通入社。コーポレートアイデンティティー室長を経て電通総研常任監査役。
・70年の大阪万博では、「笑いのパビリオン」を企画/銀座ソニービル4階の若者交流の場など都市型イベントを手がける。
・80年代は電通のCIビジネスで指導的役割を果たし、コーポレートアイデンティティー計画で多くの企業に影響を与える。
・著書に『社会と語る企業』(電通)、
『観劇のバイブル』(太陽企画出版)、
詩集『散歩』(思潮社)、
『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』(講談社)など。
1998年 ㈱電通退職

<受講者へのメッセージ>

小谷正一を考えることは、企画とは何かを考えることです。
「実現できなかった企画を、企画とは言わない」と小谷は言いました。
いかにして実現するか、プロデューサーとして小谷正一は不可能と思われた企画をいくつも実現させました。
小谷はいつも誰もやったことのない事がらに取り組み、二度と同じことをしませんでした。
プロデューサーとは物事を前に進め、実現させる人です。
プロデューサーに必要なマインド、スキル、ノーハウを小谷の仕事から読みとってください。
終戦直後の波乱の時期、日本のマスメディアの新しい出発に小谷正一は時代の旗手になりました。
小谷正一は、一番面白い時代に生きた。変化の激しい昭和後半期、白いキャンバスに画をかきこめる状況で仕事をした。
それが羨ましいと私(岡田)は小谷に言いがかりをつけたことがあります。
小谷はさらりと言ったのです。「きみ、いつだって時代は過渡期だし、キャンバスは白いんだぜ」。

西尾安裕

(詳細をご参照ください)

<講演者プロフィール>

青山学院大学卒業。
1965年 ㈱ニッポン放送入社。編成、制作、営業、事業開発、経営企画などに従事。
・ラジオショッピング
・ラブリバー・キャンペーン(多摩川)
・チャリティミュージックソン
・代々木フリーマーケット
・夢工場87
・MacWorld Expo/Tokyo
・デジタルコンバージェンス
などの企画、プロデュース。
2002年 ㈱ニッポン放送退社

<受講者へのメッセージ>

1970年に大阪で開催された日本万国博覧会には日本のあらゆる分野から先進的でクリエイティブな人材が集まり、
構想や企画から、イベント、各パビリオンの企画・プロデュースに携わり大阪万博を大成功に収めました。
大阪万博はプロデューサーが広く認められるきっかけとなった一大イベントでもありました。
彼らの多くはその後、プロデューサーとして活躍し日本のソフト産業の発展に大きな貢献をしました。
堀貞一郎氏は、大阪万博で小谷正一さんと住友童話館と電力館を成功させ、
後に東京ディズニーランドの日本誘致など日本のエンターテインメント・ビジネスに大きな影響を与えてきました。
日本のテレビ草創期からプロデューサーとして活動された堀貞一郎氏の足跡と人柄をご紹介しながら
「プロデューサーとは何か?」をご一緒に考えたいと思います。